人間関係をスーッと楽にする専門家 佐藤ちづ子

< 経 歴 >
・幼少期から嫌われ恐怖に苦しむ。
・高校1年の時に対人緊張に悩む。身体症状、孤立感などに襲われる。
・親の希望であった証券会社に入社。共依存、過敏性腸症候群に苦しむ。
・システム会社でインストラクターとして勤務。恋愛依存で苦しむ。
・傷心から「癒しの仕事」へ転身。リフレクソロジーや足で行うボディセラピーサロンに勤務。体と心の繋がりを感じ、心の世界に強い興味を持つ。
・結婚し、環境が大きく変わる。パニック発作で苦しみ、心療内科を受診。
・心理カウンセリングに出会う。自分の状態を知り、克服。
・心理カウンセリングの勉強・資格を取得する。
・カウンセリングルーム 花・水・木を開始。

私は、15年間という長い間、
自分がアダルトチルドレンや共依存ということに気づかず、
恋愛や仕事上の人間関係において、失敗を繰り返してきました。
さらに、対人緊張(社会不安)、過敏性腸症候群、パニック発作などにも
悩まされました。

当時は、症状の名前もまだ知らず、
心理カウンセリングの存在を知らなかったため、
問題が起こったり失敗する度に、ラクになる方法を探し、
本を読んだり、様
々なセラピーを受けたりしながら、
自分を癒し、少しずつ改善してきました。

「心理カウンセリング」に出会ったのは、
だいぶ落ち着いてからのことになります。

ちょうどその頃、自分の中で、「あの時の感覚」や
「いき過ぎた行動」に対する疑問が、大きくなっていました。
ちょうどその頃、心理カウンセリングに出会ったのです。

そこで、自分がアダルトチルドレン、共依存、対人緊張
などであったことが分かったのです。
15年間の謎がやっと解けた瞬間でした。

スッキリしたと同時に「もっと早く知っていたら…」と、
とても悔しい気持ちにもなりました。

私のように長い間、苦しみ続けることのないように、
自分の人生が生きづらい、苦しいと感じているあなたが、
一刻も早く「心理カウンセリング」に出会い、ラクになれるよう、
心理カウンセラーとしてサポートしていくことが、
私の使命であると感じ、今に至っています。


あなたが本当の自分を取り戻し、幸せな人生をあなた自身が
創り上げていけるよう、
全力でサポートさせていただきます。

えっ!私の家庭って機能不全家族だったの?!

 

 

 

 

私は、4人家族(父・母・姉・私)で、いわゆる普通の家庭に育ちました。
なので、自分がアダルトチルドレンに当てはまることが今一つ理解できませんでした。
愛情も注いでもらっていたと思うし、何不自由なく育ててもらいました。
普通に、幸せな家庭だっと思います。


ところが、よくよく思い返してみると、幼少の頃は、情緒不安定で、
お腹の不調を抱えていたり、体が小さかった為に、劣等感も人より強かったりして、
常にマイナスの感情や思考でいたような記憶があります。

父は、表面的には陽気な酒飲みと言った感じ。
ただ、不安や心配の気持ちが強いため、威圧的な感じはありませんでしたが、
母や私達は、父の思い通りにうまくコントロールされていました。
過保護で、楽しみを奪われたり、私の意思や、
可能性を汲み取ってもらえなかったりしたことも、多々ありました。

母は、父が連れてくる飲み仲間の対応に追われ、体調を崩しがちで、
いつもイライラしていた印象があります。
人様優先、自分は後回し。人には面と向かって余計なことは言わない代わりに、
愚痴も多かったように思います。

姉は、成績優秀、スポーツ万能で、私は姉と同じようにしなければ…という気持ちが強く、
必死に姉の後ろを追いかけていました。

もともと過敏で神経質な性格もあるのかもしれませんが、ストレスの多い子供でした。
親に心配かけてはいけない、親の言うことは絶対だ、親を喜ばせなきゃ、
大きくなったらきちんと社会に出て親を安心させなきゃ、結婚して孫の顔をみせなきゃなど、
常に、
親のことを気にして生きてきました。

私はこの家庭の中の役割として、「いい子(ヒーロー)」「なだめ役(プラケータ)」
「人形(プリンセス)」などをこなしてきたのです。

それでも、楽しかったこと、いい思い出もたくさんありますし、
私は、父も母も姉も大好きですから、この家庭に育って良かったと、昔も今も感じています。


だからこそ、アダルトチルドレンで共依存であることを認めずらかったのですね。

人に嫌われることを酷く恐れていた幼少期~思春期

 

 

 

 

物心ついた頃から、人に嫌われることをとても恐れていました。
人の顔色を気にし、不機嫌な人がいないかどうか、いつもビクビクしていました。

幼稚園や学校で、友達が機嫌の悪い顔をしていると、
「私のせいじゃないか」「嫌われたんじゃないか」と不安で仕方ありませんでした。
「どうしたの?」と心配してるふりして、自分のせいじゃないかを確かめたり、
ご機嫌をとってみたり、笑うまでなんとか努力したものです。

自分が嫌いな人からも、嫌われるのがイヤだったんです。
だから、嫌いな人でも、イヤと断ることができず、私の周りには、
ワガママな人ばかりが集まっていました。

なんで私は嫌いな人や合わない人とばかり一緒にいるはめになるんだろう。。。
そんな想いをもちながら、学校生活を送っていました。

常に、人を怒らせないように、波風たてないように、嫌われないように、
人の言う通りにし、愛想笑いをし、おどけてみせ、いつもいつも人に合わせて行動していました。

自分がどんな人が好きなのか、どんな人と合うのか、そう言うことさえも分からず、
とにかく嫌われないようにしていたのです。

「いい子」すぎて将来の夢さえも、親の言うがままに。。。

 

 

 

 

なぜ、そこまで従順だったのか、自分でもよく分かりませんが、
とにかく私の中で、親の言うことを聞いておけば「間違いはない!」と思っていました。

中学3年の進路相談の前に、「幼稚園の先生になりたい」と親に相談したんです。
すると、「これからは子供が少なくなる時代で、幼稚園の先生は余る時代だから止めたほうがいい。
おまえは、そろばんが得意だから、証券会社のような金融関係に進んだらいいんじゃないか。
これからは証券会社はいいぞ。」
という将来を見据えたような答えが返ってきました。

その後、当時の担任の先生にも、幼稚園の先生は、やめた方がいいと言われ、
「3人の社会を知っている大人が言うなら、間違いない!私は、幼稚園の先生にはなれないだろう」
と、社会からはみ出すのが怖くて、すんなりと夢をあきらめ、親の提案する道をいくことにしたのです。

この選択が、共依存の苦しみを大きくするポイントとなった気がします。
自分の夢を失った私は、社会人になると「人の夢を応援することを自分の夢」にし、
人の夢に便乗する(幸せにしてもらう)ようになっていくのです。

私の居場所はどこか。。。?

 

 

 

 

私は、埼玉県出身ですが、父の仕事の都合で、小3〜中3の7年間を福島県で過ごし、
高1から、また埼玉へ戻りました。

大学へ進む目的がなくなったので、高卒でも、証券会社への道に有利な学校を自分自身で選びました。
その高校は、親の大賛成があったので、迷いなく受験し、希望校に入りました。

新しい生活に、希望を膨らませていましたが、
新学期が始まると、希望が一転し、孤独と不安が押し寄せてきました。

7年間を田舎町で過ごしていた私は、クラスメイト全員が、都会的でセンスも良く、
とても大人に見え、一気に劣等感の塊になりました。

私は、誰と仲良くしたらいいのか、誰が私を受け入れてくれるのか、と不安な気持ちでいるのに、
他の人達は、初日からすでに打ち解けているように見えました。
孤独感と焦りで、毎日、学校に行くのが苦痛でたまりませんでした。

夜は、寂しさと不安で眠れず、朝は、緊張で目が覚め、吐き気で食事もままならず、
魂が抜けたような目をしながら登校していました。
一度でも休んだら、その楽さに甘えそうだったし、行ったら何か進展があるかもという希望と、
何よりも、学校に行けなくなったら、社会から外れてしまうという恐怖から、
自分を奮い立たせて登校していました。

これが社会不安の症状の一つ、対人緊張だったのですね。

やがて、部活も始まり、友達も増え始めると、緊張や恐怖がなくなり、自然に克服しましたが、
自分の居場所はここでいいのか。。。?という疑問や、どこにも属し切れていないという感覚があり、
孤立感・孤独感は高校の3年間、ずっとありました。

この時からすでに、アダルトチルドレンの特徴が垣間みえていたのですね。。。

親の言うことは、間違いなかったはずが。。。

 

 

 

 

高校卒業後、めでたく証券会社に入社しました。
証券会社の醍醐味を感じられる、エキサイティングな部署に配属され、バブル時代を過ごします。
表面上は安泰に見えましたが、親の言う通りに進んだ道だったのと、表面的な仕事しか見れていなかった私は、
すぐに仕事がつまらなくなりました。

それでも「何事も3年やらねば」という思い込みがあり、3年たとうとした頃、バブル崩壊がおこりました。
大手証券会社や銀行が潰れ、それまでの社会の常識が、ガラガラと崩れていったのです。
「親の言うことは、間違いない!」「親の言うことを聞いていれば安心!」という私の中の信念も、ガラガラと崩れ去りました。
この歳になり、初めて「親の言うことは必ずしも正しいわけではない」ということを知るのです。

そんなことがあり、2番目の夢だった「お店をやる」という道を 友人と一緒に叶えようと、
夜間の調理師専門学校へ、行き始めました。

過敏性腸症候群の症状が出始めたのもこの頃です。

証券会社の朝は早く、1時間半かけて出勤し、会社が終わると学校で授業を受け、その後は友人と遊ぶ。。
という、無茶苦茶な生活でした。

友人からの誘いを断れず、夜中まで遊び、朝は起きれず、焦って出かけてお腹が痛くなり、何度も途中下車。
昼夜関係なく眠気に襲われ、仕事も勉強も集中できなくなりました。

バブル崩壊後の証券会社の仕事は、ヒマを持て余し、眠気との格闘だったので、退職することにしました。
この時はもう、親も反対しませんでした。

一見、夢を選択したような形になりますが、ここから長い長い自分探しが始まるのです。。。

共依存のはじまり?!

 

 

 

 

「お店をやりたい」という私の新たな夢が友人と一致し、一緒に叶えようとしていました。
ところが、友人はある問題を抱えていて、お店どころではなくなってしまいます。

人との境界線が育っていない私は、友人が抱えている問題が、いつのまにか自分事になり、
友人のためにと、いろいろ動きまわり、できる限りのことをしました。

これが共依存で苦しんだ最初の経験です。

何をやっても、苦しい状況は変わらず、心身ともに疲れ、身動きが取れなくなり、
結局、最後には親に助けを求め、親の言うことを聞きました。

そして、友人とは距離を置くことにしたのです。

ホッとしたのと同時に、見捨ててしまった。。。私は、なんて冷たい人間なんだ。。。と、
しばらく罪悪感で苦しみましたが、この時は親の言うことを聞いて良かったし、守ってもらえたと思います。

その後は、「お店をやる」という夢を自分ひとりでも叶えたい気持ちと、
ひとりでやれるのかという不安を持ちながらも、夢の方向に向かって仕事を探しました。

喫茶店のカウンター調理の仕事をみつけ「面接に行く」と親に話すと、
「そんな不規則な仕事はからだを壊す、普通の会社がいい」と言われ、
自分ひとりでやる自信がなかった私は、またまた、それに従ってしまいます。

「親も間違うこともある」と知ったはずなのに。。。
幼稚園の先生になれるかどうか、挑戦することすらしないで、後悔したはずなのに。。。

「親の言うことは間違いない!」という思い込みは、いつも私自身の未来へ向かう決断のときに、
私を狂わせたのでした。

 

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